トップページ はじめに 過去のお話一覧 キャスト紹介

闇と光をいったりきたり
~僕と映画の物語~

トップ画像

第4話
劇場版 忍者戦隊カクレンジャー

さて、第4回目は劇場版「忍者戦隊カクレンジャー」に関するお話です。ほとんど戦隊モノを観ない僕が唯一ハマった作品、それが忍者戦隊カクレンジャーです。ED曲の「ニンジャ!摩天楼キッズ」は、この時代の日本の音楽シーンを象徴するような懐かしい音色で満たされていて、個人的に名曲だと思っております。 劇場版「忍者戦隊カクレンジャー」は1994年に公開された、テレビ版のサイドストーリー的な作品です。本作についてさらに詳しく知りたいという方は、テレビ版の内容がメインではありますがWikipediaをご覧ください。 ここから先はお時間に余裕のある方のみお読みください。物語は僕が5歳だった、1999年6月から7月頃のことです。

目次

A・I・O

六月のある日、僕は変な夢を見た。
だだっ広い空間の中で、僕は三人の客人とともに円卓を囲んでいた。
まず、僕の左手にはAがいた。Aとは文字通り、アルファベットの『A』である。正面には『I』がいて、右手には『O』がいる。AもIもOも、目測で高さ120cmくらい、文字によっては50cm〜100cmほどの横幅があって、奥行きはおおよそ60cm前後の、立体的な、黒く縁取った白文字である。表面は粘度の高い保湿クリームを塗りたくったような光沢と滑らかさで、鑑賞する位置と角度によっては、綺麗に整形された絹豆腐のような質感、しかし、呼吸による微妙な動きから察するに、実際は低反発もしくはそれ以上の硬さがあるかもしれない。
やけに開けたこの空間のせいか、いつもより広く感じられる視野角が、周囲をとりまく沈黙を、異様なまでに際立たせる。誰かが咳払いをひとつ、それを合図に、止まっていた映写機が動き出したような空気の振動、ついで、口火を切ったAの声。
「初めまして、わたし、Aちゃん。あだ名は『あ』っていうの、よろしくね」
座に拍手がわいた。僕は少々面食らいつつ、一応、みんなに合わせて手を叩いた。
Aちゃんは、スタイルのいい長い脚を大袈裟に組んで、誇らしげな表情を浮かべている。その姿を、他の二人は羨ましそうに眺めていた。思い出したように、今度はIが喋りだす。
「わたしはIちゃんです。『い』って呼んでください」
「可愛いお名前ね」とAちゃんがすかさずIちゃんを褒める。照れ臭そうにしながらも、Iちゃんは、すらっとした四角柱の身体を、ぐいぐいひねったりして、自慢のくびれを強調することを忘れない。しかし身体を動かずたびに、椅子がぎしぎし鳴るので、僕はむしろそっちの方が気になった。密度のせいなのか、想像以上に、重量もあるようだ。
最後は一番サイズの大きいOである。恥ずかしいのか、なかなか切り出せずにいる。Iちゃんがそっと小声で「頑張って」と言うと、Oはもじもじしながら、
「あの、わたし、Oちゃんって、いいます。『お』って呼んで……」と言ったところで、Oちゃんが急に泣き出してしまった。その場の全員が、一瞬何が起きたか把握できず、まごつく。Oちゃんは絞り出すような声で、
「みんなみたいに、わたしも、別の名前があれば良かった……」
「素敵じゃない、『おーちゃん』と『おちゃん』、覚えやすくてとってもいいわ」
Iちゃんが優しく慰める。たしかに『おーちゃん』と『おちゃん』では、他の二人と比べて、代わり映えがない。なんだか、Oちゃんが可哀想に思えてきた。僕は無性に、三人の中では、Oちゃんが一番好きだと言ってあげたい気持ちになった。
「Iちゃん、もうこんな女ほっといて、私たち二人だけで遊びに行きましょうよ!」
出し抜けに、AちゃんがOちゃんを睨めつけながら、突き放す。
「そんな酷い言い方、あんまりじゃない。Oちゃんは何も悪くないのよ」
IちゃんがAちゃんを諭しはじめる。Aちゃんはぷいっと頬を膨らませ、いかにも不機嫌そうである。すると泣いていたOちゃんが、Aちゃんに向かって叫びながら、
「わたしだって、こんな惨めな思いしたくないわよ……男に、男に同情されて抱かれるのは、もっと嫌よ……」
Oちゃんは席を立って、僕らを残したまま、走ってどこかに行ってしまった。
僕は、Oちゃんに寄り添おうとする気持ちを、ぐっと抑える。同情心にかられて、いまOちゃんを追いかければ、逆に彼女を傷つけることになるかもしれないから……ちょうど、Aちゃんがファンデーションの蓋をパタンと閉じたところだった。さよなら、と呆気ない言い方で、Aちゃんも席を離れてしまう。自分はどうするべきか、悩むIちゃんだったが、結局、Aちゃんのもとへ駆け寄ってしまい、僕ひとりだけが取り残された。
そこで、目が覚めたのである。

姉貴

姉貴

当然、目覚めは良くなかった。全身にまとわりつく水飴のような汗が、僕をより一層不快にさせる。
また、変な夢を見てしまった。ここ最近、僕はよく変な夢にうなされる。こんなことになったのも、すべて姉貴のせいである。
僕には14歳も離れた姉貴がいる。僕が5歳の頃、姉貴はすでに大学生だった。とにかく貧乏な家庭だったので、昔から親父に、国立以外は進学させられないぞ、と半ば脅し文句を言われ続けてきた姉貴は、必死で勉強し、本当に某国立大学に合格してしまった。元々優秀だったが、大学合格という成功体験によって、さらにその優秀さに磨きをかけてゆき、姉貴はいっそう勉学に励むようになった。同時に、貧しい田舎から大空へ飛び立つ自由を手に入れた姉貴は、青春の遅れを取り戻そうとするが如く、洋服や化粧など、いわゆるお洒落に手を出すとともに、それまでテレビの中でしか観たことがなかった最新の携帯電話を購入し、家族の中でただ一人、いま風で垢抜けた存在になっていった。こういう姉貴を、僕は別世界に住む人間であるかのように捉え、実際、歳の差も相まって、ほとんど会話をしてこなかった。
ところが、ある時から姉貴は、僕の住む世界へ、しばしば介入してくるようになった。そもそも姉貴の進学先というのが教育学部で、そのためか、僕のところへやって来る姉貴は、決まって教師じみたツラをしていた。そうして、これからはパソコンが使えないとダメだから、あんたも今のうちから勉強しておきなさい、などと言いだしたりする。さらに、黒く縁取った白文字のアルファベットと、その横に小さく添えた平仮名が印字された表を見せてきて、なんでもそれはローマ字というらしく、パソコンの操作で必要になってくるから覚えろと要求してきた。拒絶する僕の意思とは無関係に、Aがあ、Iがい、Uがう、といった具合で、姉貴はどんどん進めてしまう。母音の五つが終わると、明日の夜にテストをするからしっかり復習しておけ、と予告までしてくる始末である。
これには僕も苦笑した。平仮名さえ怪しい時分である。そこに別の言語まで覚えろというのは、いささか無理があった。第一、僕には勉強するほど、悠長な時間などないのだ。平日は幼稚園に行って、お遊戯に付き合ってやらなきゃならないし、休日だって、ゆっくり映画を鑑賞せねばならない。いずれにせよ、ここは適当にあしらっておけば、まぁ良かろうと判断して、ひとまず頷くだけ頷いておいた。
翌日は日曜日だった。例によって、僕は午前中いっぱいを睡眠にあてる予定でいたところ、早朝7時過ぎ、突如姉貴に叩き起こされた。寝ぼけ眼の僕をテレビの前に座らせると、姉貴は当時放送していた救急戦隊ゴーゴーファイブにチャンネルを合わせる。何を言うかと思えば、せっかく戦隊モノもやっているんだから、これをきっかけに、せめて日曜くらいは早起きしなさい、と説教するのだ。
困ったものである。だいたい、ヒーローなんだったら、もう少し考えてもらいたいものだ。悪の怪人から世界の平和を守るのに、三十分もかからないんだから、別に昼過ぎからでも間に合うだろうに、それをわざわざ早朝から仕掛けてくるとは、いい迷惑である。もっとも戦隊モノは、僕を早起きさせて姉貴個人のタイムスケジュールを上手くまわすための口実にすぎず、本当の目的はその後にあるローマ字習得作戦を決行することにあった。ゴーゴーファイブが終わると、姉貴は例のローマ字表を持ち出して、Aはあで、と始めるのである。
しかし、厄介なことになってしまった。ローマ字だけならまだしも、まさか睡眠まで阻害されるとは思ってもみなかった……次の週も、またその次の週も、姉貴は日曜日になると、早朝から僕を働かせ、ローマ字を詰め込んできた。やる気のない僕には、いくら効果的な勉強法も無意味であった。けれども、順調にストレスは量産されてゆき、特に姉貴が定期的に企画するローマ字の小テストは、毎回僕を憂鬱にさせた。
小テストは、平仮名が書いてあって、その横に正解となるアルファベットの組み合わせを記入していく、至ってシンプルなものだったが、そもそも頭の中に無いものを答えられるわけもなく、真面目にやっていればおよそ五分とかからない代物を、姉貴監視のもと、僕は一時間でも二時間でも、じっと白紙のテスト用紙を眺めなければならないのである。その間、姉貴は姉貴で、買ったばかりの携帯電話に余念がなく、友人と電話などして盛りあがっている。それでいて、僕の意識がテストから離れると、すかさず電話口を塞ぎ、ちゃんと勉強しないからでしょ、と抜かりなく指摘し、僕を拘束したまま、またすぐに電話へ戻ってしまうのである。席を外すわけでもなく、ただ僕の目の前にどかっと腰をおろす姉貴の威圧が、僕を逃げ道のないどん詰まりへ、確実に追い込んでいく……出来ないことを出来ないままにするような奴を、無条件で解放してやるほど、姉貴はお人好しな女ではなかった。
日々、蓄積されたストレスは、想像以上のスピードで睡眠障害を誘発した。寝たい時に寝つけず、逆に寝てはならない局面で寝てしまう。この頃は、変な夢にうなされることも多くなってきた。そろそろ、僕も我慢の限界である。不本意ではあるが、ローマ字を覚えることに精を出した方が、ずっと楽な気がしてきた……かと言って、勉強などしてしまえば、まんまと姉貴の策略にハマったことになるようで、腑に落ちない。一瞬でもやる気を見せれば、姉貴は更なる詰め込み教育を施す危険性だってあるのだ。
ひとたび自由の身になった姉貴は、今まさに他人の自由を侵害しようとしている。これは由々しき事態であり、実際、姉貴のプランはすでに半分以上が遂行され、僕は危うく本気で鉛筆を握らされるところだったのだ。姉貴がいまの地位を獲得するまでには、それ相応の苦労があったことはよくわかる。だが、いくら自分が厳しい環境に身を置いてきたからといって、わざわざその厳しさを継承する必要はないはずだ。僕は僕自身の自由のために徹底的に戦わなければならない。そのためにも、まずは英気を養う必要があった。
僕は姉貴のことなどすっかり忘れて、机に突っ伏していた。

交換条件

カクレンジャー

早朝、建てつけの悪い階段をぎいぎい軋ませながら、僕がいる寝室へ例の如く姉貴がやってきた。すでに布団の上であぐらをかいてその時を待っていた僕を見て、あらもう起きてたの、と言う。もう起きてたもなにも、こちらはつい数分前にうなされて起きたのだ。そうでなくたって、姉貴に起こされる運命だったのだ。どういう経緯であれ、自ら早起きしたことを、少しは褒めてくれたっていい気がする。
階下に降りて、まずはいつものように、救急戦隊ゴーゴーファイブからである。この期に及んでも、僕は戦隊モノに興味が湧かなかった。やはり、映画以外は面白みを感じない性分らしい。しかしながら、一つ気になる点があって、それを確かめるため、番組本編の合間で差し込まれるCMを、今日はいつも以上にじっくり見ていた。
番組終了後、改めて姉貴と向き合ったところで、僕はこう切り出す。
「7月に、ゴーゴーファイブの映画があるらしいね」
姉貴は何も言わず、その先を促すように、鋭い眼光をこちらに投げつけてくる。僕は怯まず、姉貴に立ち向かう。
「あの、これはね、いわゆる交換条件ってやつなんだけどさ……なんていうか、つまりゴーゴーファイブの映画を、もしも、もしもだよ? 映画館で見れたら……そう、僕はまだ映画館に行ったことがなくてね、どんなところか一度見てみたいし、ちょうどいい機会だと思ってるんだよ……まぁ、話を戻すと、交換条件っていうのは、つまり、映画館に連れていってくれたら、ね、映画館に連れていってくれたら、僕だって多少……まぁ多少とは言わずに、とにかくローマ字を覚えてやろうって……いやいや、覚えてみようかなって気が、でてくるんじゃないかなと思ってるわけだ……要するに、先に観たいってことなんだよね、映画をさ……ローマ字はそれからっていうのが、最初に言った、交換条件ってやつ……まず、映画館に連れていってくれたら、ローマ字だって頑張りますよって、要はそういう話なんだよ……けれど、これもまたややこしい話でさ、いくら姉ちゃんが連れていってくれるって言ってもね、なんていうか、本当にさ、連れていってくれるか分からないからね……口約束だけじゃ、心許ないでしょ……だから僕としては、映画館に行けるって保証がないと、なかなか信用できないから、ローマ字もやる気が起きない……いや、もちろん、姉ちゃんは家族だから、信用してるよ? それに、ローマ字だって、別にやる気がないわけじゃないんだけど、まぁ僕もほら、疑り深い性分だからね……一応さ、そういう裏付けができれば、尚のことよろしいんじゃないかってね……例えば、映画館のチケットだったり、そういうものを取り揃えてさ、僕に見せてくれれば、間違いなく、あぁ姉ちゃんは映画館に連れていってくれるんだなと、あぁこれで僕もローマ字を覚えようかなと……そんな感じで、物事がトントン進んでいく、ね、僕も姉ちゃんと一緒に映画館にいける、ローマ字もどんどん覚えちゃう、ね、こんなにいいことはないよねって、そういう話なんだよこれは」
姉貴は、僕の話を途中で遮ることもなく、最後まで耳を傾けていた。やはり、教師になろうとする人間は違う。子どもの意見を汲み取らない教師ほど、愚物なものはない。
それにしても、人間追い込まれると、普段なら見過ごしてしまうようなCMにまで意識がいくもんで、我ながら、上手く映画が公開されることを利用できたと思う……すると、わかったわ、と姉貴が呟き、準備したばかりのローマ字表を、なんと片付け始めたのである。
おお、と僕は思わず心の中で叫んだ。多少、回りくどい言い方になってしまったが、要望は伝わってくれたらしい。これで本当に、姉貴が映画館のチケットでも買ってきたら、いくら横着者の僕だって、交渉が成立した以上、きっちり契約内容を履行させていただきますよ……バックを持って、姉貴が家を出る。しかし、言ってみるものである。こんなにあっさり解放されるなら、もっと早く言えばよかった。安心すると、急に眠くなってきた。そうだ、久しぶりに、日曜日の午前中を睡眠に費やそうじゃないか。少なくとも、ゴーゴーファイブの映画が公開される7月までは、契約上、ローマ字を相手にする必要もなく、平穏無事な日常を過ごせるのだから。
それから、およそ二時間ほど経った頃、姉貴が帰宅してきた。迫ってくるような物音に、僕は布団から飛び起きる。もう、チケットを買ってきたのだろうか。まぁいい、何事も早いに越したことはない。とびきりの笑顔で、姉貴を迎え入れてやろう……息を切らせてやってきた姉貴に、見覚えのある袋を手渡される。TSUTAYAと書かれたその袋、途端に、僕の表情が引きつりだす。いまの僕が欲しいのは、レンタルビデオではない、映画のチケットだ。彫像のように固まる僕に、姉貴は事務的な調子で、あんたの言ってたゴーゴーファイブの映画、あれは映画館で上映されるものじゃなくて、Vシネマっていうオリジナルビデオが、7月に発売されるっていう話みたいね……ただ、何もしないのはあんたに悪い気がするから、これでも観て、ローマ字を頑張って覚えてちょうだい……。
そんな馬鹿な話があるだろうか。僕はこの目で、しかと見たのだ……いや、しかしそうは言っても、一抹の不安を拭えない。つい数時間前といっても、案外、人間の記憶なんて曖昧なものである。致命的なミスを犯した可能性だって、ゼロではないのだ。タイムマシンでもない限り、劇場公開かオリジナルビデオ作品か、その真偽を確認するには、最低でも一週間は待つ必要がある。もちろん、姉貴も僕と同様に、今すぐ自己の発言を担保する証拠を提出できないのだから、差し出されたTSUTAYAの袋を、別に突き返したって構わないのだが、それにしたって、あの自信に満ちあふれた、姉貴の顔……あれこそ、発言の信憑性を飛躍的に向上させる、なによりの証拠であるように思えてきて、僕はみるみる萎縮する……一度は僕に手渡した袋を、姉貴は取り上げて、中身を見せてくる。それは、劇場版忍者戦隊カクレンジャーのビデオ……劇場版と言いながら、テレビ版と同じく、たったの三十分しかないビデオ。正直、映画と言われなければ、普段からテレビで観ることができるものと、何ら変わらないその内容……さぁ、カクレンジャーも終わったことだし、ローマ字の勉強を始めるわよ……どうやら、観念するしかなさそうだ。地獄のような小テストからも、逃れられない。あ行がわかっても、か行が解けない。た行なんかはもっとわからない……白紙のテスト用紙を目の前に、僕は待つ、姉貴が解放してくれるのを……否応なく僕の鼓膜を震わせる、携帯電話越しの、姉貴とその友人との楽しげな会話……。
「でも、そんなの惨めじゃない、男に同情されて抱かれるなんて、あんまりだわ」
僕は首をかしげる、どこかで聞いたことがある、そのセリフ……だが、もう思い出せない。すっかり忘却の彼方へ追いやられてしまった、いつかの記憶。かえってこういう記憶ほど、心地よい睡眠に水をさす、強烈な夢になったりするものだ……僕は願う、頼むから、今日くらいはゆっくり寝かせてくれと。

アディオス
要点

結局、カクレンジャーのおかげで
僕はローマ字を覚えました

要点

結局、カクレンジャーのおかげで
僕はローマ字を覚えました

ページトップへ

Tweet